【送料無料】 世界のコンテナ輸送と就航状況 2017年版 / 日本郵船調査グループ 【本】 価格:10,260円 |
コンテナ船の歴史A
2 巨大船の誕生
邦各船社が先進諸国間にコンテナ船の配船を完了した1976年ごろの状況は、日本〜北太平洋航路で738〜1,000TEUクラスが、日本〜ニューヨーク航路で1,700〜1,900TEUクラス、日本〜豪州航路が1,178TEU〜1,184TEUクラス、日本〜欧州航路が1,842TEU〜2,952TEUクラスで、現在と同じように、日本(アジア)〜欧州航路に最大船型のコンテナ船が投入されていました。
当時、日本〜欧州航路に就航していたMOLのらいん丸の姉妹船てむず丸については、(なぜか)四日市港ポートビルの展望展示室で精密な模型を見ることが出来ますが、各船社ともコンテナ船の建造は、手探りの状況でした。模型を見ていただければ分かると思いますが、現在のコンテナ船に比べれば、コンテナの積み付けスペースなど、余裕を持った作りになっています。
年が進み、1984年にはECON SHIPと名付けられた世界最大のコンテナ船を、アメリカのUS LINEが建造します。同船は、パナマックス型のコンテナ船でしたが、同じパナマックス型で、当時就航してたドイツのHapag-Lloydの最大船(3,045TEU型)を大幅に上回る、4,456TEU型で、それを15隻建造しました。
しかし、US LINE自体は、その2年後に倒産してしまいます。コンテナ船のサービススピードが他社に比べて遅く、他社並みの定時運航が維持できなかったためだと言われています。
3 ポストパナマックス型コンテナ船の登場
この頃でも着実に大型化は進んでいきますが、現在のような急激な大型化ではありませんでした。それは、パナマ運河の通航を念頭に置いており、コンテナ船の大型化に制限があったためです。2017年に新しいパナマ運河が開通しましたが、それまでは、最大全長290m、最大幅幅32.2m、最大水深12.0m以内のコンテナ船を建造する必要がありました。
しかし、1988年にアメリカのAPL(後年、シンガポール船社のNOLに買収され、NOLをフランスのCMA-CGMが買収)が、C-10と呼ばれる大型コンテナ船を投入します。積載コンテナは4,340TEUで、船幅39.4m、最初からパナマ運河の通航を考慮しないというポストパナマックス型のコンテナ船でした。この投入は、各船社を刺激し一気に大型化が進むことになります。巨大化を後押しした理由は、
@パナマ運河の通航にこだわらなければ、長さ、幅、深さの自由度が増し、より積載効率が良く、安全性の高いコンテナ船を建造出来る。
A建造技術が上がり、従来よりも船体の材料などの軽量化が図られ、大型化に伴う燃料費の増加が抑えられる。
B(Aに関連し)船のエンジンについても、技術の向上が見られ、当時のコンテナ船に求められていた高速力に対応し、また燃費の良い大型舶用エンジンが開発された。
などでした。
なお、コンテナ船が生まれてから1970年代前半までのコンテナ船のエンジンは、高速で走る必要があったこと、また、燃料が大幅に安かったことから、現在主流のディーゼルエンジンではなく、燃費が悪いタービン機関を搭載していました。
しかし、1973年のオイルショックを契機に、燃料費が高騰し、各船社のコンテナ船のエンジンの換装が進み、先ほどお話したらいん丸も、1980年にディーゼルエンジンに取り替えています。
次回は最終章です。