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コンテナ船の歴史@
1 コンテナ船の黎明期
コンテナ船は、船会社が寄港地を発表し、東京の山手線のようにぐるぐる港を回る定期船(ライナー)に分類されます。対比されるものとして、電力会社や商社など特定荷主との契約により、需要がある場所に配船されるものを不定期船(トランパー)と呼びます。
コンテナ船以前の定期船の貨物というものは、コンテナの様に形が規格化されていないので、荷姿が大きいもの、小さいもの様々でした。それを、決められた船の貨物艙にどれだけ効率的に積載出来るかが、その船長(実務は一等航海士)の腕の見せ所でした。毎航海変わる貨物の種類や荷姿、隣接させなくてはならない貨物同士の相性、貨物を降ろす順番などを加味して、積み付けプランを作るのは並大抵の努力で出来るものではなく、経験値が大きく物言う時代でした。
また、当時の港湾には貨物を揚げ降ろしする設備は整っておらず、船に付いているクレーン(本船デリック)を使って貨物の揚げ降ろしをしていました。このため荷役の効率は非常に悪い状況でした。
さらに、荷役時は、ハッチカバー(貨物艙に通じる上部の蓋)を開放して荷役を行っていることから、雨天時には、貨物艙に積んでいる貨物にダメージが発生する恐れがあり、雨天になると荷役は中止となりました。
こうした非効率な荷役が当たり前の状況の中で、1956年に革新的な出来事が発生します。そう、コンテナ船の誕生です。この間に、パレットサイズを規格化して輸送を行う、現在のRORO船のような形態の船も誕生していますが、ここでは割愛します。
コンテナ物流の考えは極めて簡単で、輸出する工場から金属製の箱に貨物を詰めて、港まで輸送する。港に着いたら港湾に設置するクレーンで荷役を行い船に積んで輸送する。その後目的地に着いたなら、そのまま工場へ運ぶ。こうすることで、輸送中に一度もコンテナの扉を開けることない海陸一貫輸送が可能となりました。また、雨天時の荷役も可能となったことで、船の運航効率も極めて高くなりました。
1956年にアメリカの陸運業者の経営者マルコム・スクリーン氏がこのアイデアをもとに、ニュージャージ州ニューアークからテキサス州ヒューストンまで、58個の金属製コンテナを運んだのが最初と言われ、その後、1960年にシーランド社を設立し、本格的に海外に進出しました。
その後、日本では、1968年に日本郵船鰍フ国内で最初のコンテナ船「箱根丸」(全長187m、全幅26.0m、最大積載量752TEU)を建造しました。この箱根丸は、完成後、日本〜アメリカ航路に就航しましたが、それまで1航海で80日かかっていたものが30日まで短縮され、海上輸送革命と言われているほどの効率化に繋がりました。(現在の北米西岸までの太平洋航路では、日本の他に中国諸港に寄港するものが多く距離が伸びていること、また従来ほど高速で航行しないことから、1航海42日程度になっています。)
この箱根丸の建造を皮切りに邦船社では6社(日本郵船、昭和海運、大阪商船三井船舶、川崎汽船、山下新日本汽船、ジャパンライン)がコンテナ船事業に参入することになったのです。
次回は、その後の状況から現在までの動きについて解説したいと思います。